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那覇家庭裁判所コザ支部 昭和52年(家)140号 審判 1977年3月17日

国籍 米国イリノイ州

住所 沖縄県

申立人 パトリック・ゴールドウィン

国籍 申立人に同じ

住所 沖縄県

相手方 ルーシー・ゴールドウィン

国籍・住所 相手方に同じ

未成年者 スーザン・ゴールドウィン

主文

本件申立を却下する。

理由

申立人は「相手方は未成年者を申立人に引渡せ」との審判を求め、

その実情として、

申立人は相手方の父であり、相手方は申立人の長女で、未成年者は相手方の子であるが、昭和五〇年一二月一九日米国イリノイ州フランクリン郡第二巡回裁判所の判決により、申立人を養父、相手方を養母として、未成年者を養子にした。ところが相手方は過去において多数の男性と関係があり、父たる申立人の意見も聞きいれず、悪い男性と交際し家出する等の事実があり、未成年者の親権者としての義務を遂行できないので本申立に及んだと述べた。

本件の準拠法及管轄権について、

申立人は昭和二二年沖縄に入域して以来沖縄に居住し、相手方も出生以来沖縄に居住し、申立人、相手方ともアメリカ合衆国イリノイ州の国籍を有しているので、養子縁組の効力の準拠法は本国法である同州法である。同州法によれば両親は未成年者の養育監護のための処置を行うことが規定され、その管轄権を居住地の裁判所に属するものとして住所地によるものであるので本件に対する管轄権を当裁判所が有するものである。

そこで添付の疎明資料、調査官の調査報告書、申立人及び相手方の本人審問結果からすれば、相手方は申立人の長女で沖縄在の高校在学中、未成年者を懐胎し卒業して間もない一九七五年八月二三日に米国に渡つて出生、当時職もなく、申立人に扶養されていたので、申立人は未成年者の養育のこと等を考えて、一九七五年(昭和五〇年)一二月一九日申立人を養父、相手方を養母として、未成年者を養子とする判決が前記巡回裁判所においてなされ、帰沖し、申立人の住所に未成年者とともに同居していたものであるが、昭和五一年六月頃相手方は未成年者と共に申立人の了解を得ることなく別居するに至つたこと。

申立人は昭和二二年(一九四七年)沖縄に入域、昭和四〇年(一九六五年)に婚姻五人の子供がおり、その職歴は高校卒業後機械関係の専門学校を修了して今日まで一貫して機械関係の仕事に従事し、職業収入とも安定し、家族を扶養するのに十分なる能力を有し、未成年者が同居中は同人を可愛がり、未成年者を養育するには申立人の家族も異議はなく、障害になるようなことが在しないこと。

相手方は高校在学中に未成年者を懐胎し、卒業間もなく出産し、大学の夜間部に進学したが一年で中退し、中退後タイプの技術を身につけ在沖米軍のタイピストとして稼働し、昭和五二年二月一日在沖米国陸軍軍人マック・ユージン・ボー・ジュニア(当二五年)と婚姻、標記肩書地において同居し、同人も未成年者を可愛がり昭和五二年三月二八日には米国アリゾナ州に転属することになつているので夫とともに未成年者を滞同して渡米する準備をしていること等の事実を認めることができる。

以上の事実からすれば相手方は未成年者を養子縁組した当時は高校卒業して仕事もなく、申立人に扶養されていたので未成年者を扶養するのに難しい状態であつたが現在は在沖米軍のタイピストとして稼働し、婚姻している事等相手方の事情には変更があり、未成年者を養育するのに支障は認められないし、実母たる相手方が監護養育することが未成年者にとつて著しく不当のものであるとも認められない。

未成年者は当事者双方の養子であり、相手方は実母でもある関係からすれば、未成年者の実母である相手方が養育上の障害があると判断されない限り実母である相手方に監護養育させることがのぞましいものである。

よつて申立人の申立は理由がないから主文のとおり審判する。

尚申立人は相手方の父であり職業収入ともに安定し、未成年者を養育監護するには人格経済面より相手方よりはすぐれているものであり、本件は未成年者の将来を考えての善意の申立であることは認め得るが、相手方も二二歳(一九五五年六月二日生)になり稼働し、婚姻しているので相手方の今後を見守り不足する分を補い、指導して誤りのない人生を歩ますことが望ましいものであると思料する。又相手方も申立人の善意の真意を悟り、申立人の期待に添うように努め、双方の父子関係が改善されることを当裁判所として切望する。

(家事審判官 下地裕)

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